2014年5月12日月曜日

MBAを振り返って

皆様、こんにちは。Class of 2014のH.Mです。
無事に卒業式を終え、私のMBAも同時に幕を閉じました。今はほっとしているのと、住み慣れたブルーミントン、IUキャンパスやここで出会えた友達と別れなければならない寂しさが混じって複雑な気分です。卒業の季節に抱える気持ちというのはやはり日本でもアメリカでも同じですね。

さて、今回が最後の投稿になりますが、主に自分にとってのMBA、それを通じて思ったことと、今後MBAを目指されるもしくはMBAを控えている方へのコメントという3本立てでお送りしたいと思います。
注:なお、以下の記述はすべて私個人の主観に基づく内容でありすべてにおいて「MBA万歳!」という姿勢は持っておりませんので、今後MBAに向けての希望と期待に水を差して欲しくないという方は読まれるのをご遠慮ください。

①自分にとってMBAとはなんだったか

自分にとってのMBA、MBAの意義というのは少なからず常にどこかしらで自問自答していた気がします。MBAに行ってよかったか、という質問をされると「良かった」と答えます。ただし、「行く決断をして、その結果MBAを経験して後悔していない」という点で良かったという意味であり、すべてにおいて満足しているわけではありません。ぶっちゃけますと「可もなく不可もなく」というところです。これは今現在の気持ちであり、今後数年もしくは数十年後には「本当にあの時行っておいて良かった!」と思える日が来るのかもしれません。MBAの価値というのは今すぐに測れるほど単純なものではないと思います。

それでもやはりMBAを通して得た大事なものは少ないながらもあり、それはまた自分にとって大きなものでもあります。
具体的には、今後も付き合っていきたいと思える友達を作れたこと、多少なりとも自信をつけることができたこと、そして日本では経験できない異なった価値観を知り、それにぶつかり、最後にはそれと折り合う覚悟と柔軟さを身に着けたことです。

・ MBAで出会えた友達

MBAといっても所詮は学校です。私は大学で教育学を専攻しましたが、その根本にあるのは楽しい学校生活があり、学校という場所、存在が好きだからだと思っています。そして学校のすばらしいところは、やはり一緒に学び遊ぶことを通して友達が出来ることだと思います。MBAも学校という意味ではその枠組みから外れることなく、多くの友人に出会うことが出来ました。
これまで留学経験が無かった私にとって、外国人の友達を作るというのはMBAの中の目標のひとつでもありました。やはり文化や言語、価値観が異なる異国の人たちと本当に友達になど慣れるのかという不安が少なからずあったためです。私はもともと広く誰とでも付き合える社交的な人間ではなく、どちらかというと少ないながらもじっくり付き合っていきたいたいと考えるタイプの人間ですが、当初目標としていた5人の一生涯の友達(もちろん日本人以外で)を作るという目標は達成できたと思います。アジア人、アメリカ人、ラテンアメリカ人とバラエティにも富んでおります。(少ないですかね?笑)
社会人を経験し、いろいろな国を旅行して今実感しているのは、損得勘定無しに友達を作れるチャンス、しかもそれが外国人であるというチャンスはそうそう無いということ。損得勘定無しに、といってもやはり友達というのは何らかのメリットが無ければ付き合っていけません。それは一緒にいて楽しいことであったり、価値観が似ていることであったり、尊敬できる何かを持っていることであったりだと思います。
日本人のように共通した話題を通して仲良くなることが難しい外国人と友達になれたということは、それは私の人間性のどこかを認めてもらえたということでもあり、それは次に挙げる自分の自信にもつながりました。

・ 身についた自信

MBAを終えて自分に自信を持つことが出来たのは私にとってとても大きな収穫です。もともと自分に自信が無く、何かとネガティブに捕らえてしまう性格ということもあり自分になかなか自信がもてないでいました。
何が自信を持つきっかけになったかを考えると、やはり先ほども述べた「クラスメートに認めてもらう」という実感をもてたことだと思います。お互いに何も知らない外国人同士という存在から、勉強や生活を通して自分の能力、人間性、価値観を認めてもらうのはなかなか簡単な事ではありません。私は前職経験が6年ありこれはMBAの中でも多いほうですが(多くのアメリカ人、インド人は2,3年の職務経験が平均)、彼らはまったくそんなことは意に介しません。英語も圧倒的に話せない立場では苦労や失敗、悔しい思いもたくさんありました。それでも頑固で負けず嫌い(これは最近になって気づきました。)な性格もあり、チームの方向性が絶対におかしいと思うことがあればとりあえずspeak upし、意見を捻じ曲げませんでした。(時に意見を変えないというのは柔軟性に欠くこともあり、あまりチームワークの観点からはあまり良いものではなく私の改善すべき点でもありました。)チームメイトにしてみれば、最初は「何言ってんのか分からんけどなんか反対しとるわ、めんどくさい奴やなー。」という感じだったと思います。そこから自分の意図、意見を理解してもらい私の意見にも一考の価値があることを認めてもらうのはかなりのエネルギーを使いました。その場では多少空気が凍りつく事もありますが、時間が経ってみるとそのようなぶつかり合いを通して自分の存在や能力、人間性を認めてもらったり理解してもらえた気がします。実は最初のコアセメスターの最後のcase competitionでチームが実質的に崩壊したといって言いぐらいの状況に陥りました。私はそのとき正直こんなチームとは二度と組みたくない!と強く思いました。後にも述べますが、この出来事は結果的に私にとってはそれまで押し殺していたものを吹っ切るきっかけとなりその後は英語力や日本人であることなどお構いなしにどんどんクラスメートにぶつかっていくことが出来るようになったのでとてもいい経験だったのですが、そのときはそんなことは露にも思っていなかったです。
そんな最悪な印象を持ったチームメイトでしたが2年生になり久しぶりに再開したときに(彼女はlaw schoolとのjoint degreeのため、1年目の後半はワシントンに行ってしまっていました。)、「Hiroは一緒のチームでとてもやりやすかったわ」と意外なことを言ってくれました。おそらく一番衝突していたのは僕だったはずなのに、そのようなことを言ってくれたのは驚きでもありうれしくもありました。私自身も彼女の事はcore終了後は毛嫌いしていたのですが、時間が経ってみるとあそこまで衝突した一方それだけ熱意と強さを持っている彼女を少し尊敬している自分がいることに気づきました。なので、彼女と再会したときには僕も正直に「一緒にチームを組めて本当によかった」という言葉をかけられるようになっていました。

クラスメートと仲良くなるのは実は授業以外のextra activityを通してのほうが多かったように思います。
チームミーティングで「Hiroはどう思う?意見を聞かせて。」と意見を聞いてくれたり、「一緒にチーム組まない?」と誘ってもらえたり、「一緒にご飯食べに行こう」と言ってくれるクラスメートが出来るのはとてもうれしいものです。
2週間GLOBASEグアテマラで一緒に過ごしたクラスメート、10日間のイスラエルプログラムで一緒に過ごしたクラスメート、Cultural Nightでいろいろと助けてもらったクラスメート、残念ながら実現できませんでしたが春休みに企画したJapan tripに興味をもってくれたクラスメート。仲の良い友達の多くはこれらの経験を通じて知り合ったクラスメートです。
英語力という点でも、不自由なくアメリカで生活したり仕事をするにはほど遠い道のりですがそれでも今では相手がアメリカ人であれインド人であれ、日本人同様全く臆することなく自然に振る舞い会話を楽しめるようになりました。これは英語力が上達したのに加えて自分に自信がついたことも大きいと思います。

・ 異なる文化、価値観と向き合うこと

これは言葉で表すのはなかなか難しいのですが、MBAの最初のころは「何とか自分、強いては日本人らしい価値観を理解してもらおう」と必死になっている自分がいました。しかし今はそのような考えは持っていません。日本人としての価値観を知ってもらう、理解してもらうのはそう難しいことではありません。しかし少し寂しい気もしますがそれを受け入れて接してもらう、行動してもらうというのは本当に難しいです。考えてみれば当たり前なんですが、仮に私がインド人やアメリカ人のように振舞えるかというとまあ無理でしょう。彼らの文化を「頭で理解する」ことと「理解した上で同じように振舞う」こととの間には雲泥の差があると思います。またやっぱり日本人としての価値観を大事にしたいという思いが働きますし、むしろ日本に対する思いや日本はやはりすばらしいと感じる機会はこの留学を通じてなおさら強くなりました。
自分の文化、価値観を受け入れてもらうより相手の文化、価値観に折り合いをつけるほうがよっぽど簡単です。折り合いをつける、とは彼ら同様に振舞うことまでは行かなくとも彼らの価値観や考え方を理解した上でそれに沿った対応をするということです。たとえば外国では日本にいるときのようにあいまいな返答はせず、「Yes/No」をはっきり示すというのがその一例だと思います。特に日本人はなおさらだと思いますし、「相手に合わせる」というのは日本人が誇るべき大きな能力だと思います。ある授業で文化の違いについて学ぶ機会があったのですが、そこでことごとく「日本は特殊ケースだ」と教授が言っていたのを思い出します。やや誇張している気もしますが、そう遠からずではないでしょうか。
今では相手にあわせて、「こういう価値観、考えを持っているはずだからこう接しよう」と瞬時に接し方を切り替える事ができるようになりました。誤解して欲しくないのですが、相手に妥協するという意味ではありません。このような柔軟性を身につけたうえで、もし長期間付き合っていく相手であればその過程で日本の文化や価値観を十分に理解してもらいたいと思っています。

②MBAを通じて思ったこと

このようにこの2年間で得たものもある一方、MBAに対するexpectation gapも少なからずあったもの事実です。以下簡単にそれについて列挙したいと思います。

・ MBA = 職業訓練学校

社費学生が半数以上いる日本人や韓国人と違い、そのほかの国のクラスメートはMBAに"キャリアアップ"のためにきています。彼らはいかに良い会社に入り、高いSalaryをもらうかというのが目下最大のshort term goalであり、MBAにきている目的でもあります。Kelleyは特にGCSが全米でNo.1にランクインされるなど、その活動に力を注いでいます。
それゆえか、個人的には授業の大半がよく言えば王道、悪く言えばフツーな印象の内容です。分かりやすく言えば大半がMBAに関連する書籍で学べるような内容です。もちろん私が受けた日本の大学のようなつまらないレクチャー形式の授業では無く、教えるプロでもありバックグラウンドもそれなりの実務経験を持っている教授陣ばかりなのでよく考えられた授業ではあります。しかしながらどちらかというと今後会社に就職して、また将来マネージャー、管理職になった際にツールとしては役立つが、まあそれどまりかなという感じです。もう少し考え方の根本を揺さぶってくれたり今後数十年を生きていくうえではっと思わせてくれるような、少し「変り種」の授業があっても良い気がしました。

・ MBAといえども狭い世界

一見すると世界中の国からクラスメートが集まり世界を感じさせてくれるかのような場所ですが、大半が「より良い会社に入りCareer upする」という目標を第一に掲げておりその点で価値観は同じなわけです。日本で見るの学生のように就活に必死に奔走しているクラスメートを見るとたまに虚しさを感じます。自分もそんな集団の一部なんですけどね。(ちなみに卒業後の就職先は確保し、食いっぱぐれることはありません。)自分も含めて高い授業料を払えるだけの環境とそれなりの教育を受けてきた環境にいなければMBAは来れる場所ではありません。そういう点でみなそれなりに恵まれた場所で育った者同士で、貧富の差が広がっているというニュースや世界の発展途上国の貧しさとは無関係のように感じてしまいます。
ボーダレスになり世界の中心がどこにあるかも分からない現代を考えると「MBAに来て世界を感じる。」というのは幻想です。

・ Diversityという都合の良い言葉

先ほどと似ています。十数カ国のクラスメートが集まる場というのはなかなか無いため、その意味でMBAという場は貴重だと思います。しかしそのような表面的なdiversityにとどまっている感が否めません。イメージとしてはいろいろな色が地図のように散在し互いに少し混ざり合ったかなという程度で、深く複雑に混ざり合ったマーブル模様とは程遠い気がしました。それほど異国、異文化の壁は大きいです。私の裁量不足という事もあるかもしれませんが、学校の「質」を保つために形式的に設けられた形だけのものという印象は否めません。

・ 学校という環境の限界

いわゆるプロジェクトのような実践的なプロジェクトでもMBAという学校の環境ではリスクを全く考慮する必要がありません。「学びの場」にとどまってプロジェクトをする生徒側も、企業側も必死さが欠けていた気がします。そこが実務経験を2年間積んでいる人との間に出来る差でしょうか。もちろんみなまじめに、本気にプロジェクトに取り組んでいるのですが、なんとなく実際の実務とは違うという割り切りが垣間見えた気がします。
また、チームでの作業は非常に学びがあり有意義ではありますが、実際の実務では各人ごとに明確な役割とポジションがある一方MBAはそれが無いため、そこに違和感を感じることはありました。2年目にCap Stone Weekという1週間のプログラムがあり、その中でシミュレーションゲームをしたのですが、それはチームごとに個々のメンバーにそれぞれ特有の役割が与えられているという設定のもとで行われました。私はleaderの役だったのですが、終わってみるとチームを引っ張利切れなかった部分もあり自分がまだまだ足りない部分を再認識できる良い学びになりました。同じ立場でチームに貢献することも大事だと思いますが、各人が明確に役割を持った中(たとえば自分が上司で外国人の部下を持つケースと、自分が部下で上司の外国人を持つケース)でチームプロジェクトに臨むことはまた別なのでは無いかと感じました。

そのほか、2年間を通じて考えることが多かった内容を列挙します。(長文になってしまうため詳細は割愛します。)

・ 日本人としてのアイデンティティを強く意識するようになった


・ グローバルとは何か、グローバル人材とはどういう人間を言うのか、明確なイメージを持てるようになった


・ 異なる価値観を知って幸せとは何だろうか、とふと思うときがあった


・ 日本と日本人のこれから
今後も日本は安泰とはお世辞にもいえませんが、この2年間で日本と日本人に対して抱いていた世界から取り残される、という焦燥感は無くなりました。それは日本人の能力は世界でも通用すること、日本がまだまだ持っている特殊性、強さ、ブランド力などを改めて実感することが出来たからだと思います。(英語力は難ありですが。。)それにただ安堵するつもりはありません。よく最近の若者は海外に出なくなったということを聞きますが、統計を見る限り留学者数はそこまで減少が大きいわけではありません。仮に減っていたとしても個人的には自分が将来成功してビッグになるチャンスが増えるわけですから、まあそれはそれでいいかなと思います。(少し突き放した言い方で恐縮です。)



③これからMBA留学される方へ

自分のMBAの反省点等を含めて何点かお伝えしたいと思います。

・ 英語力は留学する前から全力で改善に取り組んだほうが良い

帰国子女でない限り英語力の壁はMBA留学にはつき物です。2年間を通して英語の壁が想像以上に大きく、また英語力がMBAの経験に与える影響度合いが非常に大きいことを痛感しました。もちろん英語力はあったほうが良いに越したことはありません。MBA受験が終わりほっと一息つきたいところかもしれませんが、ぜひ英語のスピーキングとリスニングは日々勉強を続けられることをお勧めします。

・ 目標は明確に持ったほうが良い。 

MBA受験の際にエッセイ対策でWhy MBA?を考えられたかと思いますが、これは明確であったほうがよいです。というのもMBAでしか出来ない経験は何だろうか?と考えたときになかなか明確な答えが無いからです。
英語力の向上であれば単なる留学、ワーホリでもよいし、自分を成長させるためなら他の手段がいくらでもあります。ビジネスの勉強であれば本でも出来るし、外国人とのネットワークなら世界放浪の旅や各種イベント、今ならソーシャルメディアでも十分に作ることが出来ます。MBAに行かずとも転職も十分可能なはずです。
MBAの学費の高さを考えるとMBAに行かなくてもそれ相応の経験が出来る中でMBAは割高な気さえしてきます。
私の場合は「留学という経験をしたいことと、ビジネスも同時に学べ転職にも不利にならない」という理由でMBA留学をしましたが、これは明確な理由とは言いがたいです。
たとえばある産業の状況をプロジェクトを通して学びネットワークも作りたい、であったり起業アイデアを試す時間とパートナー、コネが欲しいであったり。理由が明確であればあるほど、MBAで自分が何をすべきかが明確になりMBAがより有意義になるとともに効率的に時間を使えるようになると思います。

・ 「MBAに行けば(自動的に)世界、人生が変わる」という期待は捨てたほうがよい

MBAに行くにあたり、おそらくもっとも避けたいのは受身になることだと思います。Class of 2013の方も当ブログで記載されていましたが、MBAはあくまでもチャンスや機会を提供してくれるだけでありそれを活かすか殺すかはその人次第ということになります。

④最後に

自分のMBAを振り返ってみると、いくつかの「自分が変わるきっかけ」があったように思います。今思い返すとそれはどれも「悔しさ」か「自分の手の届かない場所に背伸びした経験」がバネになっています。先ほども書いた負けず嫌いという性格であるということもあるのでしょうが、日本にいたころはそれなりに会社でも認められ、また一定の達成感もあったためある程度の自信が醸成されつつあった時期にありました。自分も客観的に見れていたため短所も十分に分かっており、そこを突かれても「ああ、やっぱりな」ぐらいの感じでした。それがMBAに来て見れば自分はどこの馬の骨かも分からない外国人であり、英語もろくにしゃべれない。当然自分に対する評価や信頼などゼロ、むしろマイナススタートだったと思います。そんな中で自分の気持ちや意見を上手く伝えられないもどかしさを多々経験し、先ほど少しお話したコアセメスターの最後のcase competitionで屈辱ともいえる悔しさを味わいました。大げさかもしれませんが、正直ここまでの悔しさを味わったのは初めてのことだったと思います。ただ、それがそれまでの自分の枠の箍を外す最初のきっかけでした。そこからこれまで、悔しい出来事や苦痛ともいえる自分のcomfort zoneから背伸びした経験を何度か経てその都度何かが変わった気がします。
卒業した今、一番思うことは「日本のすばらしさはもっと世界に広まるべきだ」という思いです。これはある意味もどかしくもあり、悔しさでもあります。そしてこの思いをバネに将来ビッグになってKelleyのクラスメートや学校を驚かせてやりたい、自分がネットワークに必要とされる存在になるというのが僕の目標です。ビッグになるための具体的なプランは今はお教えできませんが、それが現実になるよう今後もこの思いを色あせることなく持ち続けていたいと思っています。

以上長文になりましたが「自分の心のなかのリトルH.Mに尋ねて」、書きました笑 (最後にオチをつけておきます。)

2014年5月1日木曜日

卒業の季節

こんにちは、Class of 2014S.Oです。卒業まであと10日あまりとなりました。清々しい季節を迎え、新緑が色鮮やかなブルーミントンを離れるのは寂しい気持ちですが、最後にMBA生活を振り返って少し書きたいと思います。

過去の投稿で、グループワークについて書くことが多かったのですが、ふと、今まで何人のクラスメートとチームを組んだのだろうと思いました。数えてみたところ、70人弱に上りました。内訳はというと、アメリカ人60%、インド人20%弱、その他アジアほか20%強という構成でした。最初はアジア人同士で固まってしまいがちなところを、途中から、今まで組んだことのないクラスメートとどんどん組もうと意識したつもりだったので、上記の構成はまあまあかなと思っています。もちろん授業以外で仲良くなったクラスメートも沢山いるので、上記人数だけでMBA生活を語れる訳ではないのですが、少なくとも70人位のクラスメートとは、時間を共有し何か一つのことに取組んだということになります。私の人生の中で、このように多くの人間と、しかも様々なバックグラウンドの人間と短期間で知り合い、物事に取組んだのは初めてだと思います。これまでに名刺交換を1年間に100人以上としたことはありましたが、実際に一緒に仕事をした方はその一部でしかないことを考えると、内容のある出会いだったと思います。

そして、会社組織のような役割や上下関係がある訳ではない中では、自分には何ができるのか、どのようにチームに貢献するのか自分で考えて動かなけれなりませんでした。チームミーティングはいつも楽しいながらも、自分の意見をきちんと伝えることに対し、どこかで緊張感を持っていたように思います。私にとってこうした経験が一番の収穫だったと思いますし、今後自分の自信になるのではないかと思っています。今履修している或るシュミレーションの授業では、私のチームは今のところ2位の成績で走っています。上位3チームは期末試験が免除されることになっているので、このまま上位を守り抜こうとチーム一丸となって取組んでいるところです。全てのグループワークでこのように上手くやってこれた訳ではないですが、これまで、一緒にチームを組もうと声を掛けてくれたクラスメートには、本当に感謝です。

もう一つ、卒業を前に、期待も込めて思うのは、物事を見る視野が広がったのではないか?ということです。漠然とした表現で、かつありきたりの話で恐縮ですが、思い返してみると、教科書で出てくる議論や、授業で取り上げたケースについて考える中で、自分が今まで経験した様々な仕事の場面が思い出されました。あの時何が起きて自分はどう考えたのか?、今だったらどう考えるのか?、派遣元企業についても、距離を置いて客観的に見る機会にもなったと思います。具体的に書くことが出来なくて申し訳ないのですが、「あ、あの時の経験!」と思い出されて、頭の中で火花が散るようなことが多々ありました。これまでの業務経験を、授業で提示される様々な観点から見つめ直す作業ができたことは一つの学びだと思いますし、こうした気づきは、卒業後時間が経過しても自分の中に残り続けると思います。まだ自分自身で成長を実感できていませんが、これからも仕事をする中で「あ、あの時授業に出てきた!」「前にも同じようなことがあったな」と、頭の中で火花が散ることがあるのではないかと思っています。

本当に刺激の多い2年弱でした。失敗して恥ずかしい思いも沢山しましたが、「今日も失敗するために学校に行くんだ」と思って乗り越えた時期もありました。コミットすればするほど、失敗は多くなりますが、その分学びも多いものです。これからMBAを目指す方には是非前向きに失敗して欲しいと思います。

最後に、MBAにチャレンジさせてくれた家族に感謝の気持ちを記して終わりたいと思います。有難うございました。